2013年4月6日・閖上さいかい市場へ
自分の中で、毎年恒例にしている被災地訪問。
誰にも頼まれてないけど(笑)、誰も待ってないと思うけど。
それでも行くのだ。
何もしなければ何もしないままだから。
去年と同じく、名取市の美田園第3仮設住宅に住むお子さんたちと輪投げ大会して遊んでこよ~と、両肩にたくさんの景品背負い出かけたけど、ちょうど楽天イーグルスのご招待試合の日に当たり・・・・・・誰もいなかった。うひゃ(^_^;)
おっ、去年もいた黒わんちゃん、こんにちは。
お節介オバサンまた来たよ~♪
申し訳ながる責任者の方に、「いいんですよ、勝手に来てるので」 と、お子ちゃんたちにお土産だけ置き、いざ、閖上(ゆりあげ)へ。
閖上の復興・・・他所に比べて遅れてるようで。。とても気になっています。
おととし、訪れた時にも、去年、訪れた時にも道路に放置されたままの津波で流されたままの大型船。
今年は・・・・なかった。
良かった。
閖上中学校の校庭にあった3隻の船も、撤去されていました。
それでも、荒涼とした廃墟の町には、何ら復興の兆しは見えない。
去年2月、地域住民の復興の願いが込められた「閖上さいかい市場」がオープンした。
『さいかい』には“再開”と“再会”の願いが込められている。
去年、訪れた時には多くの人で賑わい、マスコミも取り上げ、芸能人も訪れたりした。
しかし、今年は、人影もまばらで、商店も周りも閑散としていた。
胸が痛んだ。
代表の方のお店を訪ねた。
震災当日の話が、せきを切ったように溢れ出す。
ほぼ全壊に近い荒浜地区の中で、半壊で済んだ自分の家。
聞きなれてる悲惨な話しも、
「子供も孫も、ひたすら遺体の上を無言で歩き続けたんですよ。近所のオジサンやオバサンの遺体の上を・・・・」
さすがに何と言葉を返していいのか解らなかった・・
悲惨とか残酷とかいう一言では済まされない現実だ。
今だに、その時のことをお孫さんたちは全く口にしないそうだ。
ある人は・・我が子の幼稚園のお迎えを、ママ友さんに頼んだばかりに、我が子もママ友さんも、そのお子さんも津波の犠牲になってしまった。
自分が頼みさえしなかったら、津波に向かう方向に車が向かうことはなかったのに。
ある人は・・一度は高台に非難したのに、家に繋いだ犬の鎖をほどきに戻って、そのまま帰らなかった。
話しつくせない思い。
溢れる言葉。
今回、私は、日頃から活動している“傾聴ボランティア”としての役割も持って現地入りしたいとの思いが強かった。
何故なら、去年、仮設住宅を訪れた時に、多くの大人の方が、震災当日の話を語ってくれたからだ。
現地では、皆が同じ体験をしている。悲惨な話し、惨い(むごい)話しなど皆が体験しているいわばそこでは普通の話しだ。誰も可哀想にとは言ってくれない。大変でしたねとは言ってくれない。
しかし、私には初めて聞く全てが信じがたい現実だ。
そう受け止めてくれる人に話したいに違いないと感じていた。
大人の方だって、聞いて欲しいのだ。大変でしたね。頑張ってこられましたね、と言って欲しいのだ。はけ口が欲しいのだ。
南相馬に住む友人は、立ち入り禁止区域のため、震災後は、家族で住む場所を求めて奔走したけれど、それでも、地元で愚痴をこぼせば、「家族が誰も亡くなってないのだからいいじゃない」と言われてしまい、愚痴1つこぼせないんだよ、と嘆いていた。
補償問題も皆それぞれかかえてる状況が違うから、いくら貰っているのか、今、どういう状態なのか、腹のさぐり合いになってしまうのだそうだ。
東京の友人である私には、何でもかんでも安心して話せると、溢れる胸を内を聞かせてくれる。
話しを聴く、って大事なことだ。
今年、初対面だった、さいかい市場の代表の方の、止まらない熱い話ぶりに、逆に胸の痛む思いがした私だった。
何の力もない私だけど、、
「また伺わせて頂きますね。。」
そう声を掛けて、後ろ髪を引かれる思いでお店を後にした。
大型船が撤去されたという他は、去年と何ら変わってない閖上地区であった。
2014年4月16日・閖上朝市に行ってきました
自分の中で、毎年恒例にしている被災地訪問。
誰にも頼まれてないけど(笑)、誰も待ってないと思うけど。
それでも行くのだ。
何もしなければ何もしないままだから。
↑
(去年の日記と同じフレーズ(^^;))
大好きなチョコレート作りで、わずかではあるが、有難いことに副収入がちょびある。(今ここをご覧になってくださってる皆さんのお陰です。有難うございます。)
大好きなことをさせてもらって・・喜んで頂けて・・わずかではあるけれど利益があって・・そんなお金を自分の懐(ふところ)に入れちゃあ江戸っ子の名がすたる。
と、勝手に思う、お節介な下町オバサン(^-^;の私(笑)←(自己分析冷静))
大切な友人がいる被災地の為に、こんな私でも何かできることはないのか。
そんな思いでびゅん!と被災地入りしたのが2011年震災直後。
母で妻であり同居嫁であり・・←ここ大事(笑)
舅姑ほっぽりだし長期滞在なんてできるわけない。
か弱いから(うそ)大掛かりな瓦礫の撤去作業にも参加できない、こんな私に何ができるのか。
やっぱり母だもん、お子さんたちとふれ合おう♪
一緒に遊んだり楽しんだり笑いあったり。
そしてお子さんたちのそんな姿を見て、親御さんたちにも喜んで少しでも安心して頂けたらこんなに嬉しいことはないな。
そんな思いで、毎年この時期、ちょび収入を元手に両手両肩ちぎれんばかりのお子さま向け物資を持って名取市閖上地区を訪れる。
大切な友人は、名取市と南相馬市にいる。
震災直後の悲鳴にも似た辛い心の叫びを私は一生忘れないよ。2人の痩せこけた悲しい顔が頭から消えることはない。
1年にたった1度の訪問だけれど、今はすっかり体重を戻した元気な姿に会えるとほっとする。
それでも体重は戻っても、なかなか復興の話が進まない名取市や、原発・放射線量におびえながら生活する南相馬の友人たちには、毎年新たな不安や問題がふりかかる。話が尽きることはない。
東京で毎日ぬくぬくと生活している私には、到底、理解しがたい苦しみを背負っている彼らだけれど、話を聴くことで、寄り添うことで、その荷を少しでも軽くしてもらえたらと願う。
忘れないこと、決して忘れないよ、と発信し続けることは大事かと思う。
今年は、毎年訪れている閖上の朝市に向かった。
ニュースでもよく取り上げられているが、震災前よりも盛況で、多い時には1万人ほどの人が訪れるという。
日・祝日の朝6時~13時までの営業時間だ。
夜行バスで駆けつけ早朝仙台に着いた私が向かったのは、ほぼ開店直後だったが、朝早いにもかかわらず、多くの人でごった返していて、活気があり、とても嬉しく思った。
海のすぐ脇だが、防災設備や訓練ももちろんされている。
ホタテや蛤、干物など、買ったその場で焼いて食べられる場所も充実していて、多くの家族連れが新鮮な海の幸に舌鼓を打っていた。何より笑顔が溢れているのが嬉しい。
去年、『閖上さいかい市場』を訪れた時に、たくさんのお話と震災直後の写真を見せてくれた会長さんとも再会することができ、「また絶対にお伺いしますね」と、その時に言った約束が果たせた気がして嬉しかった。
「また来年も絶対来ますよ(^^」とお声掛けしました。
閖上朝市は、色々な工夫もされていて、9時から始まる大盛況の『大セリ市』(安くて新鮮な野菜・果物・海鮮が更に安くセリに掛けられ、楽しみながら購入できる)や、住民が参加できる『ボロ市』などのスペースも充実している。
責任者の方の許可も取り、さて、私の出番♪
子どもたち集めてイベントやるよ~♪(一昨年仮設住宅で盛り上がった輪投げ大会ですが(^-^;))と思ったら、来週の日曜日にフジテレビさんが来て、お子さん対象にした大イベントがあるのだとか。
私が広げたお子さま向け物資やお手製の輪投げ用の輪(100均のホースを輪にして透明のガムテープでとめてあるのね~)を見て、事務局の方が「このアイディアすごくいい♪子どもたち喜びますよね♪」と超ウケてくださったので、
来週の方がお子さん方が多く集まるのなら、このまま丸ごとご寄附致しますよ~、と、輪投げ大会の盛り上げ方を伝授して(笑)帰ってきました。
他にも、趣味を通した新たなお手伝いにつながりそうな話も出て、今年も有意義な被災地訪問をすることができました。
朝市会場を出て周りを見渡せば・・・・今年もまた今までと何ら変わっていない更地のままの閖上地区・・・
慰霊のお供えや鮮やかな色の花々が、茶色い更地に虚しく映え、悲しみの感情が自然と湧き出て涙が出ました・・・
朝市の賑わいを除けば、復興の言葉さえ空々しく聞こえるここ閖上地区です。